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和田仁

望外の示唆多数「余命一年の宣告から六年を経過して ある臨床心理学者の自己治癒的がん体験記」 山中寛著 金剛出版


 山中寛さんはスポーツカウンセラーとしてシドニーオリンピック野球日本代表にまで帯同されたこともあった方だそうです。残念ながら今から6年以上前、書籍初版を発刊した2016年5月より前の 同年3月22日に大腸がんでご逝去されたと伺いました。

 この書籍、先日ご紹介したガンの辞典編集長である小沢康敏さんにご紹介いただきました。恥ずかしながら、つい先日までこの書籍の存在すら知りませんでした。しかも読み始めるまでは、初版が出る前にお亡くなりになられていた方との事前情報があり、タイトルに書かれた「自己治癒的」っていかがなもの?という先入観が正直ありました。


 ところが!


 いざ読んでみると、私の予想を良い意味でかなり裏切る書籍でした。ひとりの患者という立場だけでなく、心理学者としての専門的な立ち位置や心理学の現況などもしっかり鑑みた上での体験記で、示唆に富む内容が多く書かれていました。私自身、とても頭の整理ができた気がします。

 残念ながら今のAmazon書評は3名のみと少なく、(私のように)この書籍の存在すら知らない方々ばかりでしょうか。しかし読後の私の感想は、「これはもっと世に知られて良い、いや知られるべき書籍だと思う」でした。紙の書籍のほうが好きな私ではありますが、現物がないと読めませんし、絶版になると手に入れることすらできません。著作権の問題はきっとありますが、こういう貴重な書籍をもっと電子化・データベース化して「手軽に」多くの方々が目を通せるようにしたほうが良いのでしょうね。


 山中さんはご自身が初診時に大腸がん肝転移と診断され、原発巣は手術したものの薬の副作用などもあり肝転移は何もせず、抗がん剤治療を受けなければ余命一年と告げられながら(短めな余命期間を告知しがちな医師の気質は鑑みつつ)、6年以上生き存えた経過を書籍に記されています。

 そして、末期がんで西洋医学的標準治療ができないまま何年も生きている彼に対し、『誰一人としてどのような治療法や生活上の工夫をしているのかを尋ねる医師はいなかった。そういうことに興味を示す人の多くは、がん体験者である。家族の誰かががんを患っている人もいる。中には私のことを聞き、切羽詰まってメールで尋ねてくる人も後をたたない。そういう人の思いに少しでも応えたいという願いから本書は生まれた』(まえがきp.5より引用)そうです。以前ご紹介したレックスさんも彼と同じようなことをおっしゃっていました。

 

 第2章の「私のがん体験−−ホリスティック医療を中心に−−」では、『標準治療を断念せざるを得ない状況で、いのちを存えるためにどのように試行錯誤を繰り返してきたかについて…(中略)…臨床心理学者としての私の気づきをまとめ』(p.59より引用)られています。各セクションにおいて山中さんの病状変化や医療者の言動などに対し揺れ動く感情や向き合い方が、学者目線も交えながらわかりやすく数多く記されています。

 『明確なプログラムや医学的エビデンスに欠け、曖昧でどこか怪しい』(p.75より引用)と山中さん自身も学者として客観評価するホリスティックながん医療については、『曖昧さや個人に内在する混沌とした怪しさにこそ、ホリスティックな癒しの可能性が潜んでいるのかもしれない。患者自らが自己責任を覚悟すれば選択の自由度と可能性が広がる』と一患者として信じたい希望の部分を大切にされていました。しばしば問題になることですが、(自己治癒力を高めることをめざした)ホリスティック医療にこだわった結果、標準治療のタイミングを逸してしまう方も多くいらっしゃいます。また、その多くが自由診療であり、お金も時間もかかります。山中さんはそのあたりを全部含めて『自分のいのちに責任を取る覚悟が自己治療の第一歩になる』(p.76より引用)と、いろいろなことを実践されていたようです。


 『ある治療法が他人に効果があったからといって自分にも効果があるかどうかはわからない。常識に囚われず直感や自分のからだの実感に基づいて判断するしかない。何故ならば、常識が自分にとって正しいとは限らないからである。』(p.86より引用)。山中さんのこの言葉は、先ほどご紹介したレックスさんも似たようなことを私にしばしばお伝えくださりました。もちろん、確率統計論で成り立つ標準治療においても同様のことがいえます。がん遺伝子診療に私もおおいに期待はしていますが、絶対的な指標ではないのかもしれません。

 あえて書くと、山中さんもレックスさんも最期はがんの進行が原因であり治癒しませんでした。ですが、(医師の余命告知がどこまで正しいかという問題はあるものの)山中さんは余命一年宣告も6年以上も楽しく生きられ、レックスさんはなんと10年以上も直接お会いした私からみて生き生きと過ごされていました。書籍は基本的に文章だけですし、受け止め方や注目点は人それぞれ異なるでしょうが、医師の想定する平均より明らかに長い期間を比較的元気に過ごされた彼らの生き様から得られる何かはたくさんあるのではないかと思っています。

 

 書籍の後半の部分は、山中さん自身のがんとの付き合い方やこころの変容などが臨床心理学者の立場を含めて書かれています。「がん=死」の恐怖を感じる時のアプローチとして、心理学に基づく自己観察法、リラクゼーション法、自己暗示法、イメージ法、動作法などの取り組みをご紹介されています。私が注目するサイモントン療法や催眠療法も、これらの手法を多く取り入れています。いずれも潜在意識への働きかけがポイントですね。

 現在の問題点として、『ユング心理学やトランスパーソナル心理学を除くと、臨床心理学は科学を重視するあまり宗教性とかスピリチュアルなものを排除してきた』(p.134より引用)ことを指摘され、ご自身の体験や国内外の臨床家らの報告から宗教性やスピリチュアリティが心の変容をきたしたり「がん=死」という恐怖からの癒やしに影響を及ぼしていることに向き合うと良いのではないか、と言及されています。目にみえない、よくわからないからただ排除するのではなく、スピリチュアル的な現象が仮にそのひとの幻覚であったとしても、そのひとにとっての癒しや治療効果に良い影響を及ぼすのであれば、もっと積極的に検討し導入を進めるべきではないか、と私も考えます。このあたりの研究発表は、私の知る限り国内のがん緩和医療系学会ではほとんど出てきていない現状かと思います。


 死に向かうひとのこころの変化に注目した有名な研究の一つに、キュブラー・ロス医師の「死の受容プロセス」というものがあります。緩和医療の世界では知る人ぞ知る「死ぬ瞬間」という彼女の書籍に記されています。死が迫ってくる病状で、否認・孤立→怒り→取引→抑うつ→受容という可逆的に変化するこころのプロセスを経て死を迎えていくという概要です。

 しかし山中さんはご自身の状況として、このプロセスには腑に落ちない点があったそうです。『そんなに簡単に生きることを諦めていいのだろうか?死をそんなに簡単に受容するようなコメントをしていいのだろうか?死の受容を美化しすぎではないか』と(p.157より引用)と率直な意見を書かれています。ロス先生もその後の書籍で『生に焦点を当てる必要性を感じ』(p.160より引用)ていらっしゃるようですが、がん緩和医療にかかわる従事者らがあまりに有名なこの「死の受容プロセス」を鵜呑みにする場合が少なからずあります。標準治療もしかりですが、専門家たちにベストと評される確率統計の推論で、個々のひとを医療者側の型にはめて判断することの危うさを示唆されているのでしょう。



 心理学、宗教やスピリチュアリティは目に見えない領域であり、既存の定量的な分析ツールでは科学化しにくい(できない?)分野なのかもしれません。しかし、実は今後のがん診療(癒しや治癒)において大きく影響を及ぼす領域だろう、と個人的に思っています。そして前から触れていますが、潜在意識・(ユング心理学でいう集合的)無意識に働きかけるがんの催眠療法には特に注目をしています。


 セラピストとしてなかなか施術できていないのが今の私の問題点ですが…

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